「悪文改革」のすすめ

佐々木 叶

 最高裁大法廷が、愛媛県玉ぐし訴訟で、珍しく「違憲判決」を出した。県知事が靖国神社に公費で玉ぐしを奉典した、という他愛いもないことで、大訴訟を繰り返し、最終的には「違憲」という常識の線に落ち着いた。「知事は県に玉ぐし料十六万円を返せ」と判決はいうが、県の払った弁護団費用(訴訟費用)は、その何十倍かになっているだろう。

 「大法廷判決」といえば、新聞トップものだが、判決文を一語してみれば、滑稽なほど、マンガチックな例も少なくない。難解な法律用語で飾り立てているものの、衣(ころも)ばかりの天ぷらにも似た判決が目立つ。

 昨年、沖縄の代理署名訴訟の大法廷判決も例外ではなかった。安保条約も沖縄の歴史にも触れず、中身のない文章の連結であった。堅苦しい文字を羅列するだけで、句読点が少なく、しかも文章の切れ目がない。暇つぶしに判決文を読んでみたら、五百五十字でやっと読点。大体、三百字から七百字で句読点がつくのだから、通読するのに息が切れる。

 むかし、国語研究所の岩渕悦太郎氏は「悪文」という本を出し、「判決文は悪文の代表」と酷評した。伝統的な長文病に冒され、いまなお、体質を変えない判決文の異常さは、時代遅れの象徴ともいえよう。

 大法廷のヒナ壇、十五人の礼服の裁判官を見るたびに「悪文」を思い出す。「行政改革」ばかりか「司法改革」も忘れないでほしいものだ。




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