北の海は“鬼門”なのか山陰から北陸にかけて、この冬の日本海側は、ロシアのナホトカ号で、海の命を奪われた感じだ。黙々と手作業で、海辺の重油を取り除く漁民やボランティア。その姿をテレビで見るにつけ、ロシアとソ連の無責任ぶりが、二重映しとなって蘇ってきた。
戦争が終わっても、戦争を仕かけてきた旧ソ連の残虐さが思い出される。日本がポツダム宣言を受入れ、全面降伏した昭和20年8月15日から1週間後の早朝、北海道留萌沖で、旧樺太からの引揚げ船3隻が、至近距離からソ連潜水艦の魚雷、艦砲攻撃をうけた。2隻が沈没、1708人が死んだ。老人や婦女子ばかりだった。小笠原丸、泰東丸、第二振興丸といった千トン内外の民間船であった。
留萌の海岸には、犠牲者を偲ぶ記念碑が立っているが、日本政府は、戦後一度も、この残虐行為を取り上げたことも、抗議や真相調査をしたことがない。
戦後、北海道の零細漁民が、北の海域に出漁して、ソ連にだ捕されたもの1300隻、捕まった漁民は9300人にのぼる。そして、いまなお、北方海域では、日本漁船への銃撃が続いている。
「北方四島返還」は、カケ声ばかりで、漁民の悲哀とともに、年々、風化しつつある。そのくせ、ロシア漁船は、カニやニシンで、日本を得意先にしている。北の海は“鬼門”なのか、日本の「腰抜け外交」は、戦後少しも変わらない。